海外オーナーとの共同作業の場合、特にプロジェクト全体を、どのように進めていくのかは難しい。
デザインや施工など個別の仕事については、日本での緻密な要求に答える力があれば、問題ない。いつも悩まされるのは、プロジェクト全体の仕切りの部分で、とりわけ文化の違いによるコミュニケーションの軋轢の壁は高い。
長年、暗黙知の世で生きてきた日本人は、そうしたやりとりが、そもそも得意ではない。意思疎通のとりずらい相手と嫌な思いをしながら活動するより、絶妙な間合いのコミュニケーションが出来る人と更にそのスキルに磨きをかける方が楽しいと思うのは、ある意味で当然だ。海外の国々に生きる人たちも、その気持ちは実は変わらない。一つ大きく異なるのは、そうした内向きのコミュニケーション能力だけで生きる事が、社会で許容されているかどうかという違いだろう。
そうした背景もあり、海外からのオーダーを積極的に受ける小規模の建築事務所は、日本にはまだ多くない。インターナショナルな目線から業務を組み立てているのは、そこに経済的な理由を見出せる大規模な組織ばかりだ。
そんな中、自分たちは好んで、そうした仕事に積極的に取り組んでいる。理由は、単純に言ってしまえば、面白いからなのだが、もう少し堅く言えば、文化の違いを越えて理解を深め合うという行為は、自分を大きく成長させる。そして、そうしたギャップとの摩擦の中でしか研ぎ澄まされた自己というのものは、見つける事が難しい。
自分が通用しない扉こそ開けるべき価値がある。たまに大火傷もするが、それでも人間の未知の可能性への好奇心は、尽きることがない。